夢と希望
先日、朝のテレビでスウェーデンのストックホルムが紹介されていました。それを見ていたお母ちゃんは、「お父さんの行きたがっている国はスウェーデンでしょう。 今テレビでやっているよ!」と大きな声。すると、オヤジは「この前も、ノーベル賞の授賞式などで見ている」とそっけない返事 。オヤジが喜ぶと思って、せっかく教えてやったのに、あまりにも気のない返事だったので、ちょっとしゃくにさわったのか、お母ちゃんは、「なかなかいけないのでよく見たらどうですか?」と言った。すると、オヤジは、「写真や画像で見たのではあまり意味がない。そこに住んでいる人たちの暮らしぶりが知りたいのだ」と反論。おさまりがつかないお母ちゃんは、「そんなこと、調べればいいじゃないですか!」と負けていない。お互いにこの辺で止めておけばいいものを、へそ曲がりのオヤジは、「そこに住んでいる人たちの心情とか気質というものは、歴史、気候や風土、資源などとも密接に関係している。それは直接触れてみて、肌で感じるものだ!」と、小難しいことまで言い出す始末。
傍で聞いているボクに言わせれば、二人とも大人げない。お母ちゃんが善意で教えてあげたのだから、例えあまり役に立たない情報であったとても、「ありがとうと、一言言っておけば、こうしたバトルにはならないはずなのに、わが家では何故かこうしたケースが多い。かく言うボクも、実はこの成り行きを見届けるのが大好きと来ているから、始末が悪い。それというのも、二人は落としどころを十分にわきまえていながら、ゲームを楽しんでいるのがよくわかるからです。ボクが思うには、人間という生き物は、もともとそういう性質があるように思うのですが、この二人は、昨日まで子供だった人が、いきなり今日、大人になったようなところがあり、その性格が同時に露出すると、なるべくしてこうなるというわけです。でも、こうしたトレーニングを積んでおくことは決して悪いことではないような気がします。例えば、"どこまでやれば人(他人)は本気で怒り出すのか"を知る手掛かりをつかむときなどに役立ちます。
ところで、オヤジがなぜスウェーデンやフィンランドなどの北欧に強いおもいれをもっているかについですが、一番注目しているのは社会の仕組みについてです。1人ひとりの国民の考え方がそれぞれであるのは、北欧諸国もわれわれ日本人も同じたと思うのですが、大同団結する力は、日本人よりも強いうような気がするというのです。そう思うのは、勘違いなのか、それともあまりにも自虐的考えなのか。それとも大戦という強い歴史により転換を余儀なくされてしまったためなのか。一度、あるきっかけでコーディネートされてしまうと、よほど大きな波が襲ってこない限り、古い殻を破ることはできないのかもしれないが、明らかに今の日本が学ぶべきことはたくさんある。多少窮屈な制度でも、それを平和を維持するコストと認める団結力はどこから生まれたのか、自分の目で確かめたいというのがオヤジの夢なのです。どちらかというと、お母ちゃんは希望(要望)を重んじ、オヤジは夢を追いかける(追いかけたい)タイプの人なのです。