みやぎの銘菓(その3 紅蓮屋心月庵:松島こうれん)
操業1327年(嘉暦2年)、円通院山門からほど近いところにある、700年の歴史をつなぐ紅蓮屋心月庵。ササニシキと砂糖のみで焼き上げた、品格と繊細さを兼ねそなえた松島を代表する銘菓である。一枚一枚火箸に挟み、火にかざして丹念に焼き上げる。そこには、今世で叶うことのなかった悲恋物語が込められていた。時は鎌倉時代元享(1321から1324年)のこと、この近くに住んでいた掃部という富豪が、関東周辺の三十三観音巡礼の旅へ出かけた。その道中で出会ったのは、秋田県象潟(現にかほ市)から同じく観音参りに来ていた商人。
これは観音様が巡り合わせてくれた有難きご縁と、掃部の息子小太郎と、商人の娘である谷の婚約を親同士が整える。しかし、松島に戻ると小太郎はふとした病に倒れ、18歳という若さで亡くなってしまった。悲しみに沈む両親。何も知らずに松島に嫁いできた谷は、会うことが叶わずとも親同士が許してくれたご縁と、舅姑へあらん限りの孝養を尽くした。谷は義理の両親を見送った後、円福寺(瑞巌寺)に入り出家。「紅蓮」という名をもらい、心月庵と称した庵の中で読経三昧に入った。観音様に参拝に来た人たちがお供えした米を粉にして、好きな和歌の短冊を模った煎餅を焼いて村の人々に振舞ったこうれん尼。
その名はそのまま菓子の名となり、以来永きにわたり人々に愛され続けている。この菓子は2枚1組にして販売しています。せめて菓子の中だけでも、二人を一緒にしてあげたかった」と語る23代目の星稔さん。「今は、なんでも速いものが良いと「スピードだけを求められる時代ですが、良いものを作るには時間が必要。作り方はシンプルでも、気持ちを込めないと仕上がりが悪くなります」。震災時に今上天皇皇后両陛下が宮城をご慰問された際、自らお買い上げされたという栄光をもつ風格の味。24代目となる息子の譲るさんと共に、一子相伝の菓子を守り続けている。