合理的な暮らし方
明けましておめでとうございます。今年も「わが家のムサシ」にお付き合いください。例年のようにあっという間にカレンダーがなくなってしまいましたが、ボクにとって昨年は結構充実した1年でした。といっても、希望校に入学できたとか、難しい資格を取得したというような大きな変化があったわけではありません。それは、わが家で毎年論争になっている案件にようやく決着をつけることができただけのことなのですが。決着などという大げさなものではありません。むしろ、踏ん切りが付いたとでもいうべき論争とは、例年この時期になると痛烈に後悔するのに、いつの間にか忘れてしまい、また同じ過ちを繰り返してきた「おせち」の合理化の問題です。年賀に訪れる息子たちや孫たちには、せめておせち料理ぐらいはと思い、超豪華とはいえないが、それなりのお重を用意してふるまうのがわが家の習慣でした。ところが、しばらく前から、このおせちが子供たちには人気がなく、ほぼ手つかずのままになってしまうので、オヤジとお母ちゃんで消化することになるわけですが、これがまた10日間では済まない重労働なのです。おまけに、その後遺症としてメタボになり、これを解消するのに数か月かかることになります。
お正月に彩を添える豪華なおせちは、確かに子供のころには楽しみの一つでしたが、好きな物が手軽に手に入る時代に、豪華絢爛のおせち料理は、昔のような魅力を失っているような気がします。そもそも「おせち」とは正月やひな祭りなどの五節句に神様にお供える『御節供』のことを言うのだそうで、神様に備えた食事を下げて家族で食べる直会(なおらい)の食べ物が起源だという。時期は稲作が広まった弥生時代にさかのぼり、奈良時代にかけて定着したものといわれるが定かではない。(国学院大学 新谷尚紀教授)。江戸時代後期には、数の子や田作り(ごまめ)、たたきゴボウなどの祝いざかなをおせちとしていたとの記載が「諸国風俗問状答」にあるそうです。そして、明治後半。雑誌「主婦の友」などで重詰め料理が正月料理として紹介されようになった。大正期には品数も増え刺身の重もあったという。試行錯誤を重ねながら、口取り、焼きもの、甘煮、酢の物に収束していった。これが広がったのは、戦前の女学校などで実施された「かっぽう教育」の影響であるようだ。「それまで地域ごとに様々だった正月料理が、次第に全国統一されるようになった」(国立歴史民俗博物館 山田慎也准教授)。
要するに、「おせち」とは、時代背景に合わせて進化してきたもので、「神様に供える」「人間が食べる」ということ以外は、特に、こうでなければならないという決まりはないわけです。オヤジの記憶では、せっかくの正月休みに、主婦が忙しく働くのは不合理だということで、何日か台所に立たずに済むように、日持ちのする「おせち」が考案されたのだという。オヤジの説が正しいかどうかは別にして、豪華な物を買いそろえ、それをみんなが喜んで食べてくれるならともかく、結局は大部分の残りを捨てなくてはならないようになるのでは、ご馳走の意味がない。もちろん、こうしたことはわが家に限ったことであるかもしれないので、「おせち」が無駄だとか、美味しくないなどと言っているわけではありません。わが家の場合、いかにも不合理で不経済だと言いたいだけです。こうした経緯を踏まえて、今年からは、好きな物をチョイスする方式に変えることにしました。そうすれば、食べきれるので、オヤジやお母ちゃんも無理をして食べる必要もなくなるし、胃袋にも財布にも優しいので、悩まなくて済みます。こうした結論を出すのに、背中を押してくれたのが、ローソンストア100(東京品川)の「100円おせち」の登場です。栗きんとんや数の子など定番の商品が一つ100円で手に入る手頃さが人気だという記事でした。