騙し上手に騙され上手
騙しと言えば、昨今思い浮かぶのが「振り込め詐欺」ですよね。彼らの騙しのテクニックは、「上手」というより「狡猾」というべきでしょうが、一方の騙される方は上手も下手もありません。おきのどくとしか言いようがありません。その点わが家の騙しは、まるでお互いに役割を演じているようで、いつも落としどころが決まっています。例えば、お母ちゃんがオヤジに向かって、「今日の夕飯のおかず何にしますか?」と尋ねると、オヤジは食べたいものを考えるのではなく、まず、お母ちゃんの顔色をうかがいます。つまり、その真意を確かめるわけです。そのとき、お母ちゃんが疲れた顔をしていて、「何かたべにいくか?」と言わせたいと顔に書いてあるときは、「〇〇が食べたい」などとは決して言わないで、「どこに行く?」と答えるようにしている。そうすると、お母ちゃんはにんまり笑い、"してやったり"という表情を浮かべます。これこそが、わが家の「騙し上手と騙され上手」の迷演技なのです。
このコントめいたやり取りの面白いところは、「今日は疲れているから、何か食べ行きましょう!」とストレートにいうと、家事をボイコットしているようで、多少気が引けるお母ちゃんの「なぞかけ」を騙しのテクニックで誘導していること、そして、その涙ぐましい「迷演技」を騙されたふりをして乗っかるオヤジの「迷演技」が、何十年も続けてきた割には、実に新鮮なところです。ボクから見ると、何かのセレモニーのようで、ときには時間の無駄のように感じることもありますが、これが、プロの夫婦の知恵なのかもしれませんね。そのことをオヤジに聞いてみると、「ここだけの話だけど、世の中は、良くも悪くも騙し合いの連続で成り立っているんだよ!」という答えが返ってきました。どういうことかわからず、けげんな顔をしていると、「ムサシはそういうことがわからないところに値打ちがあるんだ」と、重ねて言いました。たぶん、オヤジはそれ以上ボクに聞いてほしくなかったのだと感じたので、わかったふり(騙されたふり)をすることにして頷いて見せました。
そうするとオヤジは、誰に言うともなしに、独り言のように小さな声で呟きました。実をいうとお母ちゃんの言葉は大体先読みできる。帰ってきた時のドアを開け閉めするときの音、靴を脱ぐ音、肩の荷物を床に置く音、そして、ただいまぁという声、これらは実に雄弁に心の中を物語っている。だからオヤジは、ほんの短い時間であっても、何をしてほしいのか寸時に判断できるというわけです。それで、いつも数少ない行動パターンの中から一つ選び出かけることになります。どちらかというと、この辺まではオヤジのペースです。ところがそのあとがいけません。食事をした後のオプションが大変なのです。お母ちゃん曰く。明日の朝のヨーグルトが切れているので、ちょっとだけ〇〇ストアによってもらえますか? とくる。オヤジは、この時悪い予感が頭をよぎるが、「いいよ!」と答えてしまう。これで何度もいた目にあっているにもかかわらず。こんな騙し合いが延々と続いた結果、わが家の今がある。なるほど、これがオヤジの言う騙し合いの連続か! なるほど‼