人の話をよく聞く
人の話をよく聞くことはコミュニケーションの基本であることは誰でも知っている。しかし、実際に自分はそうしているかというと、些か忸怩(じくじ)たるものがある。オヤジが相談者と話しているのを聞くのはとても勉強になる。先日も興味深い話を聞きました。詳しい内容は秘守義務があるのでお話しできませんが、会社の懲戒解雇に関するものでした。相談者である会社社長は、従業員が就業規則に違反したので、懲戒解雇処分にしたところ、労働裁判に持ち込まれそうだというのですが、従業員の態度がどうしても許せないということでした。オヤジは相談者である社長の話を黙って聞いていましたが、話しが一段落したところで次のよう問いかけました。それで社長はどうしたいのですか? 裁判に勝ちたいのですか? それとも、何とか折り合いをつけて和解したいのですか?
思いのたけを吐き出したあとなので、その社長はオヤジの質問にはすぐに答えられなかったようです。そこでオヤジは、次のような話をまるで独り言でも言っているかのような口調で話しだしました。「ある調査結果によると、数百名の重犯罪者を調査したところ、刑期の短いものは裁判の結果を公平と判断し、刑期の長いものは公平ではない評価していた。しかし、意外にも、裁判の結果とほぼ同じくらい、弁護士とすごした時間が重視されていたという。つまり、裁判の結果が同じでも、弁護士と過ごした時間が長い犯罪者は、そうでない犯罪者よりも手続きを公平と評価する傾向が高かった。」という。そして、ここから導き出された結論は、「結果が全く同じでも、私たちは懸念を口にできなくなると、自分がしている体験の公平性全般に対する受け止め方が違ってくる」と述べている。
会社側と従業員とのトラブルは、こうした状況、つまりコミュニケーションの不足に原因があることが多い。もちろん違法なことは容認されるわけではないが、今日のようにお互いの言い分が異なると、すぐに先鋭化してしまい、お互いが生計の糧となる行動を共にしていることを忘れてしまう。貴社では従業員と経営者の関係はどうですか? というのがオヤジの相談者への問いかけのようです。すると、相談者は、少し頭が冷えたのか、"できれば裁判は避けたいですね"と応えました。オヤジは、「そうすると、話し合いで解決したいということですね」と重ねて聞くと、「できればそうしたいので...」ということでした。つまり、相談者は、自分の主張の正当性をまず誰かに聞いてもらいたかったわけです。その上でオヤジが調停すれば、多少不満があっても「公平な結論である」として受け入れる用意があるということです。前段の話の意味はそういうことだったのでしょう。