やっぱり出席しなければよかった
先日、高校の同期会に半ば渋々と出席したオヤジに、その感想を聞いてみたところ、案の定、可もなく不可もないといったような、味も素っ気もないものでした。人には見えないもののボクも一緒にいたわけですから、オヤジの表情を見ていれば、予想通りのコメントでした。でも本心では、結構収穫があったと思っていることはよくわかりました。というのは、懐かしい顔に合うこともできましたし、心配していた友人の体調が手術により回復したことを本人から聞くことができたなどは思わぬ収穫であったはずです。しかし、それらを帳消しにしてなお余りある坊弱普請な態度が気に入らなかったのでしょう。それはほかでもないスピーチの長さです。誰でも知っているようなつまらない話を長々としゃべり続け、後から話す人の時間はほとんどなくなってしまう。
おまけに、今回はその長たらしいスピーチの主が、どういうわけかオヤジに握手を求めてきたことも、心証を悪くし大きな原因だったのでしょう。でも、当然そうなることを覚悟したうえで出席を決めたのですから、今更不満を漏らしても仕方ありません。気持ちを切り替えてひたすら散会の時間を待つことにしたようです。オヤジはお母ちゃんとは違い嫌なものは嫌とは言えない性格で、なんとなく付き合ってしまうという一面もあります。そのためか、短気な割には打たれ強いと本人は思っているようですが、ボクから見るとただのやせ我慢、あるいは見栄を張っているようにしか見えないのです。お母ちゃんに言わせると、見栄を張るくらいなら、もう少し自己主張をしてもいのでは? と言いたいようです。"三つ子の魂は百までも"といったところでしょうか?
ボクやお母ちゃんから見ると、優柔不断にしか見えないオヤジですが、本人にしてみれば、「人間はかならずしも合理的に行動するものではない」という信念のようなものを持っているようです。そう言われてみれば、ボクたちも、すべての行動をコストと収益を考えて合理的に判断しているわけではありません。どうしてあんな行動をとってしまったのかと、後悔することがよくあります。衝動買いなどはその典型的なもので、「残りはわずか一つです」などと言われると、別にそれほど欲しくもないのに、つい買ってしまうことってありますよね! あのときはあんなに後悔したのに、また同じことをしてしまった。もう絶対に同じ過ちを犯さないと誓ったはずなのに、ついまたやってしまう。オヤジもたぶんそんな人間なのだと思えば、ごく普通の人間なのかもしれませんね。