イグネのある暮らし
江戸の台所と呼ばれた日本有数の穀倉地帯、仙台平野では水田に浮かぶ島のような田園風景を目指しています。遮るもののない平地で強い風から家屋を守るために植えられた屋敷林、それが「居久根(イグネ)」です。「居」は家、「久根」は隣地との境目、境の垣根の意味を持ち、県内では「エグネ」「イグネリ」と呼ぶ地域もあります。藩政時代、伊達政宗は天災や飢饉に備えて自給自足の政策を進め、ケヤキやスギヒバ、マツなどの木材となる木、果実をつける木の植林を奨励しました。木を切る際は藩の許可が必要で、伐採後は新たな苗木を植える決まりがありました。これが「杜の都」の基盤となったといわれています。仙台市若林区長喜城はイグネが点在する地域として知られています。伊達政宗は城下の防災用水路として「七郷堀」「六郷堀」を造成しました。広瀬川の愛宕堰から取水した六郷堀、七郷堀の水は東部の水田地区へ注がれ、仙台平野を潤してきました。イグネを案内してくれたのは250年続く農家・庄子喜豊さん。
昔のままのイグイを残す数少ない農家です。現在は息子さん・お孫さんが中心となって営農し、もみ殻堆肥による有機栽培米を生産しています。「この辺りは山がないため、冬は西北から季節風が吹きおろし、夏は北東からやませが吹き付けて寒いんです。祖先は寒さから守るためにコの字型に木を植えたんだと思います。イグネのもう一つの役割は燃料です。ガスがない時代、ふろを沸かしたりご飯を炊いたりするために薪が必要でした。家を建てるのも山からここまで木材を運ぶのは大変。だからイグネを木材にしたんです」。イグネは母屋と納屋を取り囲むように西、北、東側に植えられています。高くそびえるのはスギとケヤキ。敷地内に七郷堀から分水した用水路が引かれ、井戸や氏神を祀る祠、蔵など、市街地に近いとは思えないほど、昔ながらの営みが感じられます。家を新築する際はイグネを建材に使ってきた庄子さん。東日本大震災で母屋が大規模半壊となり、リフォームした際にもイグネを使用しました。
実はイグネは植えた樹木だけではありません。ボダイジュ、タモ、カクレミノ、ゲッケイジュなど、鳥が種子を運んできて成長した樹木も少なくありません。また、庭にはウメ、カリン、ビワ、ユズ、カキ、イチジク、ムベなど様々な果樹が植えられています。収穫した果実は保存食に。毎年奥様が梅干しや柚子ジャムなどに加工して味わっています。隣家との境界であるイグイは、プライバシーを保つ役目もありました。また、防火の役割も果たしており、茅葺き屋根だった頃に隣家で火災が発生した際、イグネが火の粉を遮り、難を逃れたそうです。「薪を焚いて出た灰は畑の肥料になりました。イグネは自給自足、そして自然循環型の暮らしなんです」。イグネが減っている大きな理由。それは管理が大変なこと。台風が来れば枝が折れ、落ち葉の季節になると掃除に手がかかる。木か伸びて隣家に迷惑になることも。そこでイグネを伐採してしまうのです。「孫にイグネを切ってもいいよと話すと、もったいないから切らないと言うんです」と顔をほころばせる庄子さん。イグネは防風、防雪の役割だけでなく、燃料や建築材、食料として農家の暮らしを支えてきました。夏は涼しく、冬は暖かい。春夏秋冬を身近に感じられるイグネには、自然との共生が育んだ暮らしの知恵と豊かさがあふれていました。