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えこひいきは神様の特権

えこひいきとは、「自分の気に入った人だけに味方し、不公平に遇するさま」などを意味する表現で、一般社会ではタブーとされていますが、入学試験などで自分は合格圏内から外れていると感じたときには、「えこひいき」でもいいから、なんとか合格させて欲しいと願うのが人情というものです。他人がえこひいきにより、優遇されると腹が立ち、絶対に許すべきではないなどと、正義感を振りかざすが、自分が優遇されるときは、"それもありだね"と、めっぽう寛大になる。胸に手を当ててよく考えてみるとわかるように、自分は、「自分にも他人にも厳しい人なのか?」 それとも、「自分にも他人にも寛大な人なのか?」は、なかなか判定できないように思うのです。中には、はっきりと自己評価できる人もいるかもしれませんが、たいていの人は、この2つのタイプの中間であると感じているように思うのですがどうでしょうか? 

つまり、こうした中途半端な人々が大勢集まって暮らしているのが世の中なのですから、こうした最大多数の人々に焦点を合わせて、社会の仕組みができているわけです。その証拠に、自分の身内が被告となった裁判には、検察官や裁判官は関与してはいけないという決まりになっている。もちろん入学試験なども同じです。これらは、もしかすると"えこひいきをするかもしれない"と疑われないようにするためなのでしょうが、逆に言えば、「えこひいきをすることはあり得ない話ではない」とみんなが思っているからに違ない。ほんの少し飛躍していうと、「それが人情というものだ」というのが社会の常識になっているからだと思います。正義感が強く堅物と呼ばれる人は、本来褒められるべき人なのに、煙たがられてみんなから敬遠されるのは、今も昔も変わりないようです。平等や公平を求めながらも、えこひいきも時にはゆるす。それは人間社会だけではなくボクたちも同じです。 

だから、世の中には神様が必要なのではないでしょうか? 神様はえこひいきをしても、誰からもとがめを受けることはありません。第一、どこの誰にどれだけえこひいきをしたか、などということは全くわかりません。せめて本人の努力に応じてご利益を授けるのか、もしかしたら〇〇の額によるのか、あるいは先着順なのかぐらいは知りたいものです。そういえば、西宮神社で毎年行われる開門神事「福男選び」などが大人気なところをみると、神様の目に適う人にご利益があるということはあり得るのかもしれませんね。ただ、神様のご利益にあずかるのに、「予選」があるというのも、少し寂しい気がします。神様はやはり、少しぐらいえこひいきをしてもかまわないから、もっとおおらかであってほしいものです。孫たちの合格を願い、お守りを買い求めるお母ちゃんの姿を見ると、ボクもオヤジも、ときには"えこひいきもあり派"に籍を移し神様に祈りたい気分です。

投稿者: みやげもの店主 | 日時: 2018年2月19日 13:43 | カテゴリ: わが家のムサシ

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