戦い済んで日が暮れて
激しい舌戦が終わり、今後の日本のかじ取りが見えてきました。それにしても、各候補者の皆さんは、国民にいったい何を訴えたかったのでしょうか?政治は限られた予算をどのように配分するかという優先順位を決めるものである以上、選択された施策によって、恩恵を被る人、不満がます人、まあまあだと感じる人がいるはずです。そして、その予算の原資は言わずもがな、我々が納める税金です。この税金を国民に均等に配分するくらいなら、政治にはあまり期待しない方がましなような気がします。
政治とは、国を正しく収めることであるとするならば、多少の痛みや不満をともなっても、それを容認し、他人の幸せを守る喜びを感じる利他的精神によって支えられているものではないでしょうか。ところが、そのことを重々承知のはずの候補者が、その痛みの分かち合いを口にしたとたん、票が逃げて行ってしまう。そこで、苦肉の策として「すべての国民のため」などというオブラートで包んだような言い方で公約を訴える。公平の陰には必ず容認がある。ここをしっかり訴え、かつ理解を得るための戦いが本来の選挙ではないでしょうか。もっとも、当選しなければ政策は実施できないというのも事実です。
そこで多少グレーな票にも色気を示すことになる。こうした中で行われた選挙が終わると、候補者も支持者も一気に熱が冷めてしまう。当選者は次の選挙が近づくまで支持者の顔を見ようとしない。有権者もまた政治への関心が徐々に薄らいでゆく。今回の衆議院議員選挙は48回目だそうですが、世の中が目まぐるしく変化する中、あまりにも進歩がないように思われます。企業の経営活動であれば、収益を得るためにはどれほどのコストが掛かるかも計算し、関係者に提示するのが常ですが、政治家の皆さんはコスト(痛み)の部分にはあまり触れたがらない。それが政治離れの原因のように思えるのですが。