大崎市岩出山・鳴子
大崎市岩出山は仙台に城を構える以前の伊達政宗が12年間過ごしたゆかりの地です。室町時代、奥州探題大崎氏の所領でしたが、豊臣秀吉による奥州仕置により大崎氏は所領を没収されてしまいます。政宗は1591年秀吉の命により、かつての大崎氏の所領であった城に居城を移し、当時岩手沢と呼ばれていたこの地を岩出山と名づけました。現在、城跡は土塁、壕などが遺されており、花見の名所・城山公園として市民に親しまれています。岩出山伊達家3代敏親(としちか)と4代村泰が京都の公家・冷泉家の娘を妻として迎えたことから、京都のさまざま文化の影響を町の中に見ることができます。
しの竹を使った竹細工や凍み豆腐、酒まんじゅうは現在も大崎市の特産品として有名です。岩出山伊達家の菩提寺である実相寺や、江戸時代の学問所・有備館など歴史的文化財が残る町並みは、京都と歴史的関わりが評価され、平成11年には小京都として認定されました。江戸時代には俳聖・松尾芭蕉が岩出山に宿泊したと「おくのほそ道」に記されています。芭蕉が宿泊した石崎屋という宿は、現在の岩出山交番所付近にあったそうです。また、鳴子温泉郷の発見は837年で、13世紀「八雲抄」に名湯として記されているほど、古くから広く知られた温泉です。
千年以上の歴史を持つ鳴子温泉には様々な伝説が残されています。現在の中山平温泉にある星沼という地名は、源頼朝に平泉に追われた義経と正室・北の方が大きな沼につけた「星の沼」という名に由来しているという。また、芭蕉もこの地を通ったとされ、「小黒崎 みづの小嶋を過て、なるごの湯より尿前(しとまえ)の関にかかりて、出羽の国に越えんとす」という一文がおくのほそ道にのこっています。鳴子はこけしの里としても有名です。約200年前から始まった鳴子こけしは広く愛され、現在も鳴子の町の郵便ポストや公衆電話などにこけしのモチーフが見られます。愛らしいこけしの町を求め、全国からこけしファンが訪れています。