うーめん
うーめんは、清冷な水と気候に恵まれた蔵王山麓で育った白石市の特産品で、和紙や葛粉とともに「白石三白」として知られています。その発祥は、今から四百年ほど前にさかのぼります。病床にあった親を助けようと白石城下に住む鈴木味右衛門という人が、油を使わない麺の製法を旅の僧から教えてもらい、その麺を親に食べさせたところ、病気が全快したという話が伝わる。その後、製法にいろいろと工夫が加えられ、片倉家から伊達家の殿様へと献上されるなど「御膳温麺」として伝承されてきました。
白石川をはじめとした数多くの清い流れと、盆地の形成によって、うーめんの原料となる小麦の生産者、水車式石臼挽きによる製粉業が発達しました。しかしこの方法では、高品質の維持に問題があることから、明治二十二年にタービン装置を動力とした石臼式製粉機が導入され、近代的な製粉の先駆けとなりました。原料の小麦は周辺の蔵王町、村田町などから集荷されていましたが、近代的な機械製粉になるとともに、県内一円はもちろん、東北、関東と広い地域の小麦が使われてきました。大正末期には外国産の小麦も輸入されました。
うーめんは、つくりはじめられて以来、原料の精選、製造技術の改善、そしてことさら「蔵王颪(ざおうおろし)」を利用した寒製うーめんの製法に力を入れました。明治中ごろには手延製温面の製造業者は百数十軒を数えた。盂蘭盆になると、地元白石をはじめ、うーめんの消費地である米沢や相馬方面に荷運びする馬車の数が道中を大いににぎわしたという。長さ8㎝と短いうえ、他のうーめんより細いので茹でやすく、食べやすいという特徴と、保管がきく乾麺という点で、お盆の贈答品として重宝されています。仙台周辺をはじめ、県内各地にはお盆になると「おくずかけ」にして仏前に供え、食べるという習慣が今も残っています。