日本最低峰「日和山」
以前にも紹介した、「標高3mほどの日和山」は、今でも健在です。江戸時代から明治半ばまで流通の拠点として賑わった当地は、鉄道の普及によってその地位を失いましたが、半農半漁の集落へと変化し、明治時代に漁師が出漁する際に天候を推測するため、築山されたのが日和山でした。その後、高度成長期に建設された仙台新港により、工業地域へと変貌し、日和山が漁師に利用されることは無くなり、釣りやサーフィン、乗馬、バードウォッチング、潮干狩りなどで当地を訪れる市民が、日和山を憩いの場として利用するようになりました。
日和山には、山頂に松の木があり、参道の階段も整備されていましたが、東日本大震災で、全て流出してしまいました。日和山が築山された当時は、標高6mほどだったため、大阪府大阪市港区にある天保山が標高4.5mであるということになり、一時は「日本一低い山」の称号を譲り渡さざるを得なくなりましたが、今回の大震災で3mほどになってしまったため、奇しくも「日本一低い山」に返り咲いたというわけです。この故郷の山をこよなく愛し、守り続けている人たちがいます。
仙台市宮城野区蒲生地区にあった港町町内会で役員を務めた佐藤政信さんは、日和山から海を眺めるのが今でも好きだそうです。8月下旬に足を運び、しみじみとあたりを見回した。近くの自宅は更地に。「面影は消えた。それでも日和山に来ると、古里に帰ったように心が安らぐ」。地元民らが集う高砂市民センターの講座「中野ふるさと学校」が昨年開校し、代表となった佐藤さん。震災前の街並みを模型で再現し、今年は日和山のジオラマをつくりました。7月1日は日和山の山開きをし、約100人が旧交を温めました。