既成事実
わが家では、お母ちゃんが夕食の用意に取りかかろうとするとき、「今日は何にしますか」と尋ねる。表面的には「今日の夕食はどんなものを食べたいですか?」と問いかけているように見えますが、キッチンに置かれている食材を見ると、お母ちゃんが何をつくろうとしているかだいたい見当がつく。それでも、これはまだましな方です。先日などは、「今日はお好み焼きでいいですか?」と聞かれたので、ちょっと覗いてみると、すでに具材は加工されフライパンに投入される寸前でした。
こういうときに、今日は天ぷらうどんが食べたいなどと言ったら、嫌味以外の何ものでもないことになるでしょう。そこで、答えは「いいよ!」と言わざるを得ない分けです。お母ちゃんにしてみれば、事前に相談して同意を得たので、その料理づくりに取りかかったという大義名分を得たことになりますが、一方のオヤジにしてみれば、有無を言わさず承諾させられたという気分のはずです。既成事実をつくることは、自分の意思を通すためには有効な方法で、世の中でよく使われます。
わが家の場合は、お母ちゃんもオヤジもお互いの好みも熟知しているし、最近何を食べたかも把握しているわけですから、こうした掛け合いも、ユーモアの一種と受け止めることができますが、これが社会の常識になってしまうのはいただけません。しかし、場合によっては、下手に異を唱えると社会から白い目で見られることもあるため、寝たふりをしながら、密かに自分の世界を築くのが「おりこうさん」なのかもしれませんね。これを称して「悪い奴ほどよく眠る」というのでしょうか。