本物の柔道を見た思い
リオ・パラリンピックでも、日本人選手の溌剌とした活躍ぶりが毎日みられ、実に爽快でした。本来、スポーツは国力発揚の場ではないので、あまり日の丸にこだわるべきではないのかも知れませんが、やはり、日本人選手が登場すると、赤勝て、白勝てというような面白くない応援はできなくなります。特に、柔道のような格闘技となると、思わず力が入り自分が戦っているような気分になってしまいます。
ところで、開幕早々行われた柔道競技を見ていて気がついたのですが、ルールづくりに工夫を凝らしているせいでしょうか、とても見応えがありました。最も目立ったのは、試合開始前に審判が、両選手に組み手について指導し、お互いにしっかりと道着を持ち合ったところから試合が始まります。そのため、自ずと両者の背中がピンとのび、多彩な技を繰り出せる本来の柔道ができるようになったと感じました。
健常者の競技では、最初から最後まで持ち手争いに終始し、お互いに組み合うことなしに試合が終了してしまう場面が多々あります。これでは、柔道の妙味は半減され、勝ことよりも負けない方がメダルを取れるのでは?とさえ考えてしまいます。もっとも、障碍者競技の場合も、問題がないわけではありません。それは、選手同士の得意の組手が、どのようにして確保されるかということです。しかし、一本勝ちが多く見られるのは痛快です。