キリシタンの里「東和町米川」
東和町米川は、キリシタンの里と呼ばれています。戦国時代、日本に宣教師が訪れ、各地にキリスト教を布教しました。当時、東和町にたたら製鉄が導入されましたが、技術を伝授したのは岡山(備中の国)から招かれたキリシタンの大八郎・小八郎兄弟です。製鉄法とともにキリスト教も広まりました。
江戸時代になるとキリスト教は禁止されるようになりましたが、仙台藩では重要産業の鉄を守るためキリスト教を見て見ぬふりして保護していました。しかし、政宗の死後この地にも弾圧が及び、多くの信者が殉教しました。転宗をよそおって処刑を免れた信者たちは、隠れキリシタンとなったのでした。
1954年、旧家で古文書が発見されことで、キリシタンの歴史が掘り起こされ、信者によって1957年に献堂されました。教会には、苦行仏に似せたキリスト像や観音像に似せたマリア像、箱型のふたのうらに十字架を描いた位牌など、信仰を守ってきた人々の思いが忍ばれる品が展示されています。丘の上に建つ小さな教会は、長い信仰の歴史を伝えています。