仙台藩の南の要衝「白石城」
伊達政宗に仕えた片倉小十郎景綱は、伊達家随一の名参謀として活躍し、1602年に白石城を拝領しました。その後、明治維新までの約260年間、11代にわたって片倉家が居城してきました。1995年に復元された天守閣は、戦後の木造復元天守閣としは、高さ、広さともに日本最大級を誇っています。天守閣内部は、矢を射たり鉄砲を発射したりする「狭間」と呼ばれる小窓などが史実に基づいて忠実に再現されています。
城の歴史や建築過程などを説明するボランティアガイドの平間啓子さんの説明によると、「最上階からは白石市内はもちろん、北は仙台、西は蔵王連峰が見渡せる。夏には涼しい風が通り抜け気持ちがいいとのこと」です。白石城から南へ徒歩約15分の所には、景綱が片倉家の菩提寺として創建した「傑山寺」があり、敵に見つからないよう一本杉を墓標にした影綱の墓が今も残っています。
11代邦憲以降の当主代々の奥方もここに葬られています。白石城から西へ車で約10分のところにある「片倉家御廟所」には、10体の阿弥陀如来像と一本の墓標が整然と並んでいます。3代景長が、代々の当主の墓を城が見える愛宕山の麓に決め、景綱と2代重長の墓を1680年に傑山寺からこの地に移しました。以後10代宗景までがこの地に眠っています。また、2012年には傑山寺境内に、「景綱の銅像」が建立されています。