清く正しく生きることの難しさ
最近、テレビや新聞を賑わしているニュースの一つに、「ワンちゃんの大量投棄」がある。「何とむごいことをするものだ」と、オヤジもお母ちゃんも怒っています。世論も概ねそうしたものが多く、飼い主の責任を強く求めています。それはその通りなのでしょうが、投棄した背景には、やむにやまれぬ事情もあったのではないかという思いも頭をよぎります。といっても、投棄するのは仕方がないなどというつもりはありません。
そもそも、現代社会においては、全てのワンちゃんが幸せに一生を送れるシステムにはなっていません。第一、「売り買い」という方法で行き先が決められ、飼い主に運命を託すしかありません。幸いボクはいい相棒に恵まれ、幸せに一生を過ごすことができましたが、それでも、行き先が決まるまでは不安でたまりませんでした。引き取り先が見つからなかった友達も、結構多かったように記憶しています。
こうした、不安定なシステムを容認している以上、飼い主だけに、「清く正しく生きること」を求めるのは所詮無理な話です。一旦飼った以上、無限の責任を負わなければならないというのであれば、まじめな人は、ワンちゃん達を飼わなくなるかもしれません。そうなれば、生きる楽しさを全く経験しないで、短いい一生を終えてしまうワンちゃんも多くなる筈です。世の中のルールに合わせながら、「清く正しく生きる」のは、そう簡単ではないようです。