寒風沢島
奈良・平安時代の製塩遺跡もあった寒風沢島は、仙台藩が年貢米・廻米を運ぶ蔵が建ち、江戸への輸送基地として栄えました。当時は船乗りのための宿や遊郭もあったという。また、仙台藩による日本初の西洋式軍艦「開成丸」が造られた地として「開誠丸造艦の碑」もたっています。そして、日本人で初めて世界一周した津太夫や左平がこの島の出身です。
歴史の痕跡が随所に残るこの島だけに、化粧地蔵や延命地蔵などの信仰対象も多く見かけられます。特に、小道の三叉路にある六地蔵は、愛らしい表情をしています。日和山展望台には、十二支方角石がありますが、震災の影響でいまは立ち入りが禁止されています。この島は、昭和35年5月に起きたチリ地震津波の際にも大きな被害を受け、その記念碑が寒風沢海水浴場に建てられています。
幕末に、函館五稜郭へ向かう途中、榎本武楊らの艦隊が寒風沢付近に停泊した際、西南沖に浮かぶ船入島に埋蔵金を隠したとの伝説があります。船入島では貝塚と縄文時代の人骨も発見されています。また島内の田んぼで育った米を天日干しにして、これを使って日本酒をつくるという試みもあるなど、多彩でユニークな顔をもつ島としても知られています。