鯛と波頭 笹かまぼこ販売一筋五十年
株式会社 すゞき物産
トップページへ
商品案内
会社案内
リンク
 店長の blog
<   2014年1月   >
日 月 火 水 木 金 土
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

  • おかいもの
  • ちょっと一言
  • みやぎの見所
  • わが家のムサシ
  • イベント情報
  • オープンご挨拶
  • キャンペーンご案内
  • ホットな出会い
  • 一期一会
  • 大震災
  • 美味しいもの情報

招き猫
powered by Movable Type Movable Type 5.2.10

<<200年前に世界一周した宮城県人(その1) | ブログTOP | ムサシのほほえみ >>

200年前に世界一周した宮城県人(その2)

5月10日(新暦6月5日)、北東の方角に雪が積もった高い山が姿を現した。風と潮に流され、やっと島に近づいたが、海岸は岩礁だらけで、船をつけることができなかった。そこで一同は船を捨てて、小舟に米三表と道具類を積み、午後4時頃に砂浜を見つけて上陸することができた。この浜で10日ほど過ごしてから、一同は小舟で人家を探し始めました。

北西に進むこと五十五里(220㎞)、ついに人の姿を見つけます。ザンバラ髪で顔には入れ墨があり、獣の毛皮を身に纏い、素足である。その異様な姿に一同はおびえたという。若宮丸が漂着した「ナアツカ」がどこだったのかは、長年なぞとされてきましたが、ホォックス諸島に属するウナラスカ島だったと推測されます。鬼とも思える島の人々は、親切にも火をおこして焚火にあたらせてくれたほか、水や魚を差し出してくれました。

津太夫は帰国後、彼らを一瞬でも恐れたことを恥じたと語ったという。上陸して3日目には船頭の平兵衛が、壊血病で亡くなりました。わずか32歳でした。彼らは平兵衛を砂地に埋葬しました。数日後にロシア人が現れ、津太夫たちはナアツカという港(現ダッチハーバー)に連れて行かれ、オンデレイツケ(アツカ島)へ移送され、そこで1年近く過ごしました。

投稿者: みやげもの店主 | 日時: 2014年1月31日 17:51 | カテゴリ: みやぎの見所