200年前に世界一周した宮城県人(その2)
5月10日(新暦6月5日)、北東の方角に雪が積もった高い山が姿を現した。風と潮に流され、やっと島に近づいたが、海岸は岩礁だらけで、船をつけることができなかった。そこで一同は船を捨てて、小舟に米三表と道具類を積み、午後4時頃に砂浜を見つけて上陸することができた。この浜で10日ほど過ごしてから、一同は小舟で人家を探し始めました。
北西に進むこと五十五里(220㎞)、ついに人の姿を見つけます。ザンバラ髪で顔には入れ墨があり、獣の毛皮を身に纏い、素足である。その異様な姿に一同はおびえたという。若宮丸が漂着した「ナアツカ」がどこだったのかは、長年なぞとされてきましたが、ホォックス諸島に属するウナラスカ島だったと推測されます。鬼とも思える島の人々は、親切にも火をおこして焚火にあたらせてくれたほか、水や魚を差し出してくれました。
津太夫は帰国後、彼らを一瞬でも恐れたことを恥じたと語ったという。上陸して3日目には船頭の平兵衛が、壊血病で亡くなりました。わずか32歳でした。彼らは平兵衛を砂地に埋葬しました。数日後にロシア人が現れ、津太夫たちはナアツカという港(現ダッチハーバー)に連れて行かれ、オンデレイツケ(アツカ島)へ移送され、そこで1年近く過ごしました。