200年前に世界一周した宮城県人(その1)
今からおよそ200年石巻から出帆した一行が、太平洋上を半年以上漂流した末、アリューシャン列島の小島に漂着しましたが、その軌跡は壮大なものでした。寛政5年11月27日(新暦1793年12月29日)、船頭米沢屋平兵衛ら16人は、若宮丸(八百石積)で石巻港を出帆しました。仙台藩廻米千三百表と藩御用の材木を仙台藩江戸蔵屋敷に届けるためでした。
石巻を出帆したが、順風に恵まれず、その晩は東名(宮城県鳴瀬町)に寄港することになりました。29日になると北風が吹いてきたので、一行は江戸を目指しましたが、塩屋崎沖で激しい南西の風に遭遇します。この海域は船が隠れるような港が少なく、海難事故が多発するところとして知られていました。12月3日、転覆を避けるために帆柱を切り倒しました。
それでも足りないので、翌日には船を軽くするために積み荷の米を海中に投げ捨てました。その後、年が明けてからも、舟は度々強風にあおられたため、浸水がひどく、船体も激しく損傷しました。漂流の間、乗組員は破損した部分を修理したり、海水を汲みだしたりして、沈没をさけるために懸命に作業を行いました。想像を絶する戦いだったことが窺われます。