蒙古之碑
鎌倉時代に、当時世界最大の帝国であったモンゴル族の国・元が2度にわたって日本に攻め入った「元寇」は歴史の教科書にもよく登場しますが、その主戦場だった九州から遠く離れた、宮城野区燕沢地区の大雄山善應寺の境内に、「蒙古之碑」がひっそりと立っています。この碑は最初から善應寺にあったのではなく、近くにあった安養寺から移されたものだそうです。
最初は廃寺となった安養寺から、燕沢東にある牧嶋観音堂に移され、その後1941年に現在の場所に落ち着いたのだという。しかし、善應寺には碑にまつわる資料が伝わっておらず、いつ、誰が、何の目的で建立したのか、確かな証拠はありませんが、一説によると、鎌倉幕府が捕虜にしたモンゴル兵を仙台まで連行し、同地で処刑し、その霊を供養するために建てたといわれています。
それにしても、なぜ捕虜にしたモンゴル兵を仙台まで連行したのかという謎は残りますが、それでも、この碑にはこんなエピソードもあるそうです。1941年に当時のモンゴル元首・徳王が来仙し、石碑を参拝した際の様子を伝える絵が善應寺に保管されています。徳王はこのとき、「古代の人が歩んできた道のりをここで見つけた」を意味する「古道猶存」とい言葉を、涙を流しながら残し、それが石碑になり、その碑は蒙古之碑の傍に立っています。