駒犬城跡
観応の乱における吉良貞家と畠山氏が争った際、正平6年(1351年)に吉良氏が「こま崎」の城にあったことが記録されているという。「日本城郭体系」では、この駒崎城を駒犬城と同一のものと推定している。この駒崎城は、もともと留守氏の城であったが、留守氏は畠山氏に付いていたため、駒崎城はこの吉良氏によって攻め落とされたと推測されている。
戦国時代に留守氏が再び勢力を伸ばすと、その家臣であった佐藤氏が駒崎城主を務めるようになりました。鹽竈神社にある明応6年(1497年)の銘のある鐘には、佐藤宗高という名前が記されています。永禄10年(567年)、伊達氏から政影が入嗣し留守氏を継ぐと、これに反対する一族の村岡氏や余目氏とともに佐藤氏も反乱を起こしたが、政影軍に敗れた。
駒犬城はこの時に廃城とされたと思われます。城は、塩釜市役所のすぐそば、東園寺の裏山一帯にあったとされています。塩釜の市街地を挟んで鹽竈神社と対峙する位置にありますが、港湾都市として古くから栄えた塩竈は、駒犬城の場所より西南に食い込んだ現在の香津町付近まで入江だったので、往時は、眼下に塩竈の港を望む城だったと思われます。