潜り岩と猿跳岩
耕野の名所・旧跡と伝説によりますと、天喜5年(1057年)、安陪貞任が前九年の役の際、源義家の大軍を防ぐため、対岸を利用して木材や石で阿武隈川をせき止めたとき、せき上がった水に岩が潜ったのでこの名が付けられた。その時、川の水が刈田郡方面に超えたので超河(こすごう)と名づけられた。そして、刈田郡方面は洪水になったという(安永の風土記)。
水の高さは、通常より25mの高さに達し、岩の頂きを侵したということですが、その規模は、高さ66m、幅33mとされています。近年、岩の高さを釣り具で測った人がいて、その人によると約39mであったそうです。どのような測り方をしたかは解りませんが、国道349号線沿を福島方面に進んでいくと左手に見えますので、自分の目で確かめてください。
猿跳岩にも諸説あり、一つは、舟で川を下る時、大波に見え隠れする岩が、猿のように見えるから(奥州仙台遠見記)という説と、もう一つは、近くの岩洞のお山王さんと霊山の使いに猿が群をなして跳び越えたので(郡誌、封内名蹟誌、封内風土記、観跡聞老誌)名付けられたという説があります。往古は登竜門滝と言ったそうです(安永の風土記)。