機織沼の機織伝説
宮城県東和町錦織地区には、機織沼と呼ばれている小さな沼があります。ここは、年中釣りを楽しむ人で賑わうところですが、伊達政宗に敗れた葛西一族の悲話が残っているところでもあります。この沼の南西にある小高い丘の上に湖水城というお城があり、西郡新左衛門という殿様が住んでいて、この地方を治めていました。
天正18年(1590年)、この地区を治めていた西郡新左衛門は、葛西氏の命令で大将として出陣し、伊達軍と戦いましたが、翌年この戦いに敗れ新左衛門は討ち死にしてしまいました。これが深谷の役と言われる戦いです。新左衛門の妻は、敵に捕らわれることを望まず、機の糸を断ち切り、城に火をつけて、沼に身を投げてしまいました。
その後、晴れて沼に波風が無く静かな日には、昼夜を問わず水底から機を織る音が聞こえ、その音を聞いた人は死ぬと言われていました。村の人々は大いに恐れて、弁財天を祀った祠を建てて、新左衛門の妻の霊を慰めました。それ以来、機を織る音が聞こえなくなったと伝えられています。国道346号線沿いに「西郡新左衛門夫妻の碑」が建てられています。