お母さんの味
テレビのCMやドラマでよく耳にする「お母さんの味」とか「おふくろの味」という言葉があります。前者は主として若い人、特に女性が多く使い、後者は、年配のオッサンによく似合うようです。それはともかく、この言葉は、親のありがたさをしみじみと感じさせ、どんなに極悪非道の人間にも、幼いころの無垢な心を呼び起こす響きがあります。しかし、近年は袋を破って中の具を器に入れ、後はお湯を注ぐだけで簡単にその味が再現されてしまう。これでは、「お母さんの味」や「おふくろの味」はどこでも簡単に味わえる。それ自体は、味を求めるモノ的な欲求には応えられても、自分にとってかけがえのないお母さんを想起させる、心の栄養にはならないような気がします。何を言いたいかというと、「お母さんの味」というものは、他人にはわからない深い「愛情」という百人百様の深いスパイスが隠し味として仕込まれているからこそ価値があるのではないか、といいたいのです。ボクとしては、そう簡単には使ってほしくないのです。
もちろん、長年にわたり研究開発を続けてきたメーカーさんの努力にケチを付けようという気は毛頭ありません。もう少し表現の仕方を工夫して、「お母さんに迫る味」というったように、貴方のお母さんにはかないませんが、「それに近づけるよう日々努力しています」というワンクッションを置いた方が、かえって人々の心に響くのではないでしょうか。最も、私たちは「世界最大」「史上初」「本邦初公開」などという言葉に反応する脳を生まれながらにしてもっているので、購買行動などの動機づけを後押しするマーケティング手法としては使わない手はないのかもしれません。当店でも、ついそうしたキャッチフレーズを使ってみたいという衝動に駆られることはあります。しかし、お母さんの味がそれぞれ異なるように、人の心も十人十色です。変わらない味へのこだわりが、自分の存在を認めてくれるとして、変わらないことにエールを送ってくれるお客様も多数いらっしゃいます。「お母さんの味」を大事にしたいというのも、同じ心理ではないでしょうか?
大切なものをあまり簡単に露出させたり、多用したりしては本物の値打ちが半減してしまいます。例えば、マイカーを持つことがステータスだった頃、高級車をデラックスと呼んだことがありました。すると、次に登場した高級車はスーパー・デラックス、その次はサルーン、そのまた次はローヤル・サルーン、スーパー・ローヤル・サルーンというように、高級車が登場し、デラックスは下から二番目(セダンの次)にランクが下がってしまいました。今では「スーパー」といえば、スーパーマーケットのことを意味する言葉として定着していますが、元々は「特に優れている」という意味で、「デラックス」は高級であることや豪華な物、「ゴージャス」も豪華な、あるいは華麗な、と意味のフランス語ですから、どちらが格調高いのかはわかりませんが、後から登場したゴージャスの方が庶民にとってはより華麗に響くような気がします。どうせ気のせいならば、「お母さんの味」や「おふくろの味」も、いっそのこと「かあちゃんの味」とか「おっかぁの味」といったバリエーションを付けて呼んでみてはどうでしょう。一層美味しく感じるかもしれません。