「手を染めた」のに「足を洗う」とは?
ボクが前から疑問に思っていたことの一つに、「手を染める」という言葉の反対の意味で「足を洗う」が使われていることです。オヤジに聞いてみようと思ったこともありましたが、国語の先生になるわけでもないし、特に重要なこととも思えなかったので、唐突に質問するのを避けてきましたが、ひょんなことから、これらの言葉の使い方に関して疑問を持っているのはボクだけではないことを知りました。一般的には、「手を染める」「足を洗う」という言い方は、どちらも「悪いこと」について使われているようです。ボクももっぱらそういう意味で使ってきました。つまり、「足を洗う」は、「悪いことをするのをやめる」という意味です。一方「手を染める」は、必ずしも悪いことを意味するわけではないようで、かつては「何かを始める」という「良いこと」を始めるという意味でも使われてきたようです。しかし、近年は「悪いことを始める」という限定的に使われる意味が強くなっているようです。テレビドラマなどを見ているとそんな気がします。
そこで語源について調べてみたところ、まず、「足を洗う」は、はだしで外を歩いたあと、建物の中に入るとき「足を洗う」ことから出てきた言葉というのが一番先に目に入りました。また、一説には、修行僧が汚れた足を洗い、世俗の煩悩を洗い清めることに由来するといわれている、というのもありました。一方「手を染める」の方は、これも諸説ありますが、この「染める」は「初める」と同じ語源だと考えられ、「始める」という意味で、現代でも「書き初め・お食い初め」などの言葉が残っています。「手」は色々な慣用句として用いられる語で、「手を染める」の「手」は、体の一部としての「手」の意味はあまりないのかもしれません。例えば、「その手があったか」とかヘボ将棋などで「手は何か?(相手の持ち駒を確認する)」などというときの「手」は体の手とは関係なく、「方法」とか「持ち物」という意味で使われます。ちょっと厄介な気もしますが、なんとなく、納得できるところに日本語の「良さ」みたいなものも感じてしまうから不思議です。
でも、やはり疑問が残るのは、「手を染める」が、悪いことに身を染めるということの表現だとすれば、改心する場合には、「手を洗う」というのが解り易い気がします。染めた手をきれいにするのに足を洗うというのは、インフルエンザを患っている患者に盲腸の手術をするような感じが否めないのです。しかし、そんな屁理屈を言っても仕方ないのかもしれません。世の中にはこの種の言葉があふれています。例えば、「手作り」「手を抜く」「手加減」「手当」「手合わせ」などという言葉は、"手"とは直接関係ありません。また、「手」や「足」に関するコト・モノだけに限らず、その言葉が何かを表す代表になっているようなことは数限りなくあります。ちなみに、ネット調査の結果では、「犯罪に手を染める」と「ギャンブルから足を洗う」という使い方が正しいと答え人が、前者は94%、後者は88%だったそうです(NHK放送文化研究会)。それが論理的におかしいなどと疑問を投げかけるよりも、そうした多様な表現力を持つ言葉の豊かさを、楽しく使いこなすことの方がよほど大事だと思うことにします。