小春日和
小春とは、晩秋から初冬にかけて現れる穏やかな暖かい天候の意味で、旧暦の10月のことなのだという。太陽暦では11月から12月上旬にあたる。厳しい冬を前に現れる温和な天候を喜ぶ言葉が「小春日和」というわけです。長く人間をやっている人たちは、「小春日和」が、俳句では冬の季語になっていることはよく知っているようですが、この本来の意味である「初冬の頃の、穏やかで暖かな天気」で使う人が51.7%、本来の意味ではない「春先の頃の、穏やかで暖かな天気」として使う人が41.7%もいるというから、俳句の世界をのぞけば、どちらの意味で使っても、あながち間違いではないといえるかもしれません。そういえば、童謡の「ちいさい秋みつけた」の歌詞から想像すると、「ちいさい秋」は夏の終わりから秋にかけて、秋の気配を感じたときの心境を描いたもののように思います。例えば、毎日暑い日が続いているのに、すすきの穂を見つけたときや、路面に映る自分の影が長くなってきたと感じたときに、ふと秋を感じるといった風景が思い浮かびます。
日本人は太古の昔より、感情を露骨に吐露するのを避け、文学的表現で比喩的に表現するのが好まれてきたようです。小春日和という言葉も、いかにも響きが良く人の心を和ませる日本的な表現です。ちなみに、アメリカ大陸やヨーロッパでは、小春日和に相当する言葉は、「インディアン・サマー」「老婦人の夏」というそうですが、何とも響きが悪いような気がします。第一、俳句では字余りで使えませんよね。言葉は文化そのものですから、その国の風土や気候などの違いによって、そのルーツや発展過程が異なるので、よその国の言葉や表現方法を批判するのはナンセンスです。むしろ、違いをお互いに認め合い、使い方を学べば、相手の主張も少しは理解できるようになるかもしれません。ボクは何故かこの「小春日和」という言葉が大好きです。それは、厳しい環境の中でホット一息つけるという安らぎと、明日はそうはいかないので、気を引き締めようという気持ちのバランスを整えるチャンスだと思えるからです。
小春日和をそういう日だと位置づけないと、束の間の暖かさが返って疎ましく思えてくるのです。相棒のオヤジも同じ気持ちであることを確認できてからは、特にそうしたスタンスでこれからの寒い冬に向かうほうが体調にも心にも余裕が持てます。人によっては暖かい時はそれを存分に楽しみ、寒い時はそれなりに対応すればよい、と考える人もいると思います。むしろ、こうした人の方が多いのかもしれません。例えば、わが家のお母ちゃんなんかは典型的な後者のタイプです。歌の文句じゃないけれど、「愚痴も言わずに女房の小春」とは似ても似つかず、愚痴は多いし、主張も多い。それでも、オヤジたちは気が合うと思っているのですから、不思議なものです。そのことをオヤジに聞いてみたら、「俺だって愚痴は言うし、主張も強いよ。ただ、小春日和を創るのも得意なんだ!」ときた。「それは、どういうこと? どうやって小春日和を創るの?」と重ねて聞き返するのは、やめておくことにしました。たぶん、聞くに堪えない、ばかばかしい答えが返ってきそうだったから。