動機づけの生かし方
オヤジは今、職場の動機づけに関して取り組んでいる。オヤジの悩みは、「働き方改革」は「できる人」と「できない人」を二つに分けて、成果を評価するという学校教育の現場と全く変わりがないということです。この考え方は、金銭や権力のような目に見える報酬(アメ)に最も強く反応する労働者と、降職や失職という悪い結果(ムチ)を避けることに強く反応する労働者に区分した昔の管理方式です。もちろん結果を重視しなければならないという現実は重く受け止めなければならないのでしょうが、これでは人は育たないとオヤジは考えているようです。アメリカの元バスケットボール選手で、その実績からバスケットボールの神様と評されたマイケル・ジョーダンは次のように話しています。「僕はこれまで9000本以上のシュートを失敗してきた。300試合で負けてきた。ゲームの勝ちを決めるはずのシュートを任され、失敗したことも26回ある。これまでの人生で何度も失敗してきた。その失敗の積み重ねで今の成績がある」。そういえば、大相撲の千代の富士も同じ意味のことを言っていましたね。
つまり、オヤジが言いたいのは、今の部長とか課長といった職階制の下では、挑戦するよりも失敗しないことに価値を求める社員が多くなり、挑戦して失敗したら目も当てられないという、事なかれ主義の職場風土になってしまう。失われた10年とか20年と言われのは、こうした空気が蔓延したことによるものだということです。厳しい評価は必要としても、労働者は挑戦する課題や戦略を自分で決め、自分なりの成功の基準を設けるようになっているのが、欧米では多くなってきている。従業員は裁量権を与えられるときや、自分のスキル、力、個性を生かし高める機会を与えられるときに、より強く動機づけられる。確かに、もやしのように、いつの間にかするすると伸びて、出世をした人よりも、何度も失敗を重ねながら、頂点に辿り着いた人の方がより尊敬される。頑張った人が必ず成功するということではないが、自分を認め、裁量権を与えられた従業員は、それもこれも重々承知の上で、自分を信じて難しい仕事に挑戦する。その芽を摘んできたのが親であり、学校であり、社会ではなかったのか?
こうした考え方には、当然反論も多いはずです。というよりも殆どの企業では受け入れられないでしょう。しかし、その一方で、多くの経営者は「人材の育成」を考えているのも事実です。ということは、理想と現実のギャップ、あるいは総論と各論という形で、心の中に葛藤があるようにも見えます。世の中でも、職場でも一旦コーディネートされてしまった枠組みを打ち砕くには、勇気だけでは不十分です。ただ、「大きい車は持たない」「無駄なものは買わない」「100円ショップが繁盛している」などという現象は、単に経済的事情だけによるものではないように思います。かなりスローペースではありますが、かつての「横並び主義」の風潮から抜け出そうとしている「うねり」が起こっているのです。こうした消費行動の変化は、古い枠組みから抜け出そうとする自己主張の表われであり、こうした消費者を顧客としている企業が変わらなくていいはずがない。ちなみに、「消費者」という固定した人が存在するわけではない。社員も社長も消費者でもあるわけで、これは「車の運転者」と「歩行者」の関係と似ているので、他人の問題ではないはずです。