アクセルを踏み込むタイミング
高年齢者による自動車事故が年々増えているようです。事故の原因として特に多いのは「ブレーキとアクセルの踏み間違い」ということですが、オヤジに言わせると、それは「アクセルを踏み込むタイミング」の間違いではないかというのです。その理由は、道路を走行中にはアクセルに足がかかっているわけですから、危ないと思ったときに、そのままアクセルを踏み込むという間違いはしないような気がするという。また、ブレーキを踏んでいるときは、車のスピードが落ちているか、あるいは停止しているときなので、発進しようと思えば、どんなに気が動転していたとしても、またブレーキを踏むという動作をするはずがない。万一、発進しようとして間違えてブレーキを踏んだとしても、車が動かないことに気づき、すぐにアクセルに足を移動させるはずですから、ブレーキを踏むべきときにアクセルを踏み、アクセルを踏むべきときにブレーキを踏むという間違を冒す可能性は極々稀ではないかというわけです。
要するに、ブレーキとアクセルを踏み間違いたことによる事故の発端は、アクセルを踏むタイミングと力の入れ加減を誤ったことにより、冷静な判断力を失わせたしまったということのようです。この仮説が妥当かどうかはボクには解りませんが、もしそうだとすれば、子供たちの「いじめの問題」も、この仮説で説明できるのではないでしょうか。つまり、初めはほんの遊び感覚で仕掛けた悪ふざけが、ほどほどのところでブレーキをかけなければならないのに、そのタイミングを間違え相手を徹底的に痛めつけてしまう。一方、いじめに遭っている子供は、何とかしていじめるのをやめてもらおうと金品などで機嫌を取る。しかし、このサインが間違って受け取られ、いじめはますますエスカレートすることになり、最後は自ら命を絶つしかなくなってしまう。ただ、これもまたブレーキとアクセルの踏み間違いによるものである。つまり、ブレーキを踏むことにより得られるかもしれない明るい未来を捨て、暗い闇に向かってアクセルを踏み込んでしまうわけです。
人間には、いろいろな安全装置がついていて、一瞬にして命が尽きるということはまずありません。例えば、「頭痛がする」「耳鳴りがする」「血が出る」「喉が渇く」などがそれで、これらの安全装置が作動することで、「薬を飲む・つける」「体を休める」「水分を補給する」といったような対処をします。しかし、これらのサインが作動しても、いろいろな事情ですぐには対処できないこともあるでしょうし、あまり重く受け止めない人もいます。高齢者の自動車事故が多いのも、生活環境や個人の特質に関係しているように思います。高齢になることで身体機能が増強されるということは通常ありませんから、一般的に言えば、高齢者の機能の低下が自動車事故に結びつく可能性は高くなるのは当然です。しかし、高齢者が衰えてきた機能を補完するために必要な文明の機器(自動車)を、危険だからといって取り上げてしまうような社会は好ましくありません。高齢者にやさしくない社会は自分の将来にもやさしくないはずです。