立場の相違
ものごとには見解の相違というものがある。確かに人の考え方は千差万別で、考え方の相違があることは事実ですが、おかれている立場の相違が見解の相違につながっていることも多いように思います。6月28日に行われたサッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会の1次リーグでポーランドと対戦した日本チームは1対0で惜しくも敗れましたが、日本は3位のセネガルと同率(1勝1分1敗の勝ち点4、得失点差0)で並んだが、警告などの数を点数化する「フェアプレーポイント」でわずかに上回り、決勝トーナメント進出を勝ち取った。このことについては、当然、批判や称賛の声が上がっている。どちらも正論のように見えるが、議論の根拠による違いというよりは、立場の違いが批判と称賛の分れ目になっているような気がします。
一つは主催者の立場です。主催者にとっては2位3位決定戦を行うことも選択肢の一つなのでしょうが、日程調整の難しさもあり、「フェアプレーポイント」という小さな差で順位を決めるというルールを採用したものと思われます。二つ目は、日本の勝敗にはほとんど関係のない、あるいは、日本が勝ち上がることにあまり好意的でない立場にある人たちです。このグループに属する人たちは、当然論調も厳しく批判的です。三つ目は、日本チームの熱狂的なファンで、とにかく決勝トーナメントに進出できたのだから、素直に喜びたいと思っている人たちで、ルールにのっとって勝ち取ったのだから、批判など気にする必要はないといったところでしょう。問題なのは四つ目の自称解説者たちです。このグループに属する人たちは、自分は意見がブレないことを信条としている評論家タイプの人です。
この評論家タイプの人は、自分の息子が日本チームのメンバーであっても、批判的立場を曲げない可哀そうなタイプの人です。そもそも、スポーツのルールというものは、そのスポーツの特質を考慮して定められるものでする。例えば柔道の試合では、防御の姿勢を取り続け攻めようしないと、「指導」というマイナスポイントが課せられる。しかし、相撲では、相手が仕掛けてくるのを待ち続けても反則にはならない。この二つの違いは、なんとなく解りますよね。つまり、柔道の場合は明らかに、技を仕掛けて勝ちに行くという姿勢がない(柔道にならない)ため、相手方にポイントを与えるものですが、相撲は、自分が不利な体勢にあるときでも、目に見えなくても攻めていると認められるからでしょう。サッカーのルールは、日本人の主導でにわかに作ったものではないので、非難されるには当たらいと思うのですが? 以上、田舎の評論家ムサシの見解でした。