政宗誕生秘話 母義姫が見た「瑞夢」
瑞鳳殿は、寛永13(1636)年、70歳で生涯をとじた仙台藩祖伊達政宗公の遺命によって、その翌年造営された霊屋(おたまや)です。桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として昭和6(1931)年に国宝に指定されるも、昭和20(1945)年の戦禍で焼失。現在の霊屋は昭和54(1979)年に再建されたものです。伊達政宗は1567(永禄10年)8月3日米沢城主伊達輝宗の第一子として米沢城(山形県米沢市)に生まれました。母は輝宗の正室義姫で輝宗24歳、義姫20歳の時です。
伊達治家記録には、この政宗誕生に関する興味深い伝説が記されています。義姫は、亀岡文珠堂の傍らに住む行者長海上人に命じて、文武の才と忠孝の誉れある男子の誕生を出羽三山の一つである湯殿山に祈らせました。長海は祈願の証拠として湯殿山の湯に浸した幣束を携えて帰り、これを義姫の寝所の屋根に安置させます。ある夜、義姫の夢に白髪の僧が現れ、胎内に宿を借りたいと願い出ました。義姫は自分の一存では決められないので、夫君に相談すると答えて、翌日輝宗に夢の話をしたところ、輝胸は瑞夢であるといって喜びました。
そして、再びこの夢をみることがあれば必ず僧の言う通りにするようにといいました。その晩、再び枕元に立った僧に対して、義姫がその願いを聞き容れたところ、僧は幣束を義姫に授け、これを胎育したまえと言って去りました。この瑞夢の後、義姫は無事懐妊し、嫡子政宗が誕生しました。修験道では幣束を「梵天(ぼんてん)」といい、この瑞夢にちなんで政宗は「梵天丸」と名付けられたとされています。この瑞夢伝説の真偽は不明ながら、郷土の英雄伊達政宗の誕生に相応しい逸話となっています。2017年は政宗公生誕450年の節目であり、政宗が眠る「瑞鳳殿」には多くの人々が訪れました。