慣れ親しんだ習慣
相棒のオヤジが、ある本で読んだというお話です。その話とは、「ロンドの経済大学のカフェテリアにはなかなかしゃれた自動コーヒー・メーカーがあり、コーヒー豆が機械の上の方にあって、ボタンを押すと適宜それが挽かれてドリップされというものです。その機械をよく見ると、ボタンの1つに「インスタントコーヒー」とかいていある。せっかく豆を挽いてくれるすぐれものの機械なのに、なぜわざわざインスタントコーヒーを入れる機能を追加するのだろうか。これはイギリス人の中にはインスタントコーヒーの味に慣れ親しんでいて、本格的なコーヒーの味と香りに違和感を覚える人がけっこういるからだそうだ。また、食堂の半分は麺類の店だといってもいいくらいの香港で、なぜかインスタントラーメンがあるという。『出前一丁』と注釈しているところまであるから、日本ブランドが上物と考えられているのであろう。」といったものです。
よその国の話だとつい笑ってしまいますが、結構わが家でも同じようなことをしているような気がします。特にオヤジは、あまりなじみのない店には入りたがらないし、注文する料理もいつも同じです。例えば、この店では味噌ラーメン、別の店ではあんかけ焼きそば、なじみの焼き肉店では、上カルビではなく普通のカルビ、といった具合です。また、こうした傾向は食べ物ばかりにとどまらず、車やパソコンなども長年親しんだものを継続して使っています。本人は拘りのつもりなのでしょうが、ひょっとしたきっかけで変わることもあるので、これはこだわりではなくむしろ変えることによる「乗り換えコストの増加」を懼れているからだと思うのです。そのコストとは経済的なものばかりではなく、仕事の遅れやイライラなども含まれているはずです。つまり、失敗して後悔したくないため、本当は変えた方がいいと思っていてもなかなか踏み切れないのです。
昨今、世間を騒がせているスポーツ界のパワハラ問題にも同じような力が働いているのかもしれません。テレビなどで、専門家と称する人のコメントを聞くと、「パワハラは悪いことだからやめるべきだ」という意味のことを異口同音に言っています。しかし、そんなことは子供でも分かっていることです。みんなが聞きたいのは、どうすれはこうした悪しき習慣をなくすことができるかということです。長年かかって染みついた文化に竿を指すと、それが功を奏した時は英雄とたたえられるが、失敗すると二度と立ち上がれないようなダメージを受けます。人は大なり小なりそうした経験があるため、なかなか改革の旗頭にはなれないのではないでしょうか。このようにロックイン(動きがとれなくなるように囚われてしまう)状態から解き放つには、ただ批判をするだけでは意味がないように思います。