日本刀の源流(その5)
宮城県で現在、伝統の技を受け継ぎ、作刀をしているのは4人です。その中の一人、大和伝を継承する刀匠・法華三郎信房さんと息子の栄喜さんを大崎市松山の作業場に訪ねた。火床(ほど)と呼ばれる炉の中で真っ赤になった松炭から盛んに火の粉が飛ぶ。そこで熱せられ赤くなった鉄を何度もたたいてブロック状にし、さらに槌で数十回たたいて打ち延ばし、不純物を取り除いてゆく。鉄の温度は1,200℃から1300℃にもなる。刀鍛冶の仕事は、まるで鉄との格闘です。
緊張感と静けさに包まれた空間で、9代目信房さんと栄喜さんが鉄と火花を散らす。そんな見た目の激しさとは裏腹に、作業には繊細さと鋭い感性が求められる。「材料に聞きながら刀をつくるんです」と信房さん。どういうことだろうか。日本刀の素材は、砂鉄と炭を原料とした玉鋼や、江戸時代までに作られた釘と古銭などの古い鉄です。使うのは日本産の「和鉄」のみ。幕末期以降に西洋式高炉で作られた洋鉄は錆びやすく、仕上がりも悪くなり、日本刀には向かない。
しかし、和鉄は含んでいる炭素量など品質が一つひとつ異なる。良質のものを選んで使うが、それでも作業をする中で、その素材に合う焼き加減を見つけなければ良い刀はできない。「鉄との対話」が重要なのだ。マニュアル化できる作業ではないから、感性と経験がものをいう。信房さんも栄喜さんも、師である父から事細かに教えられたことはないという。信房さんはこう言い切る。「先代の仕事を見て覚え、自ら体験する中で技術を会得していきました。五感で感じたことじゃないと身につきません」。