日本刀の源流(その4)
国包は名工を排出した五大流派の一つ「大和伝」の渋く質実剛健な作風を貫き、仙台藩の刀工に大きな影響を与えた。大和伝の特徴の一つは「直刃(すぐは)」という直線的な落ち着きのある刃文だが、茂木さんは、「単純な刃文の中に複雑さがあり、力強い作風。玄人好みで、じっくり見ていくとその良さがわかります」と語る。国包に次いで名高いのが安倫(やすとも)の系統で、2代目と3代目は江戸の著名な刀工大和守安定に入門している。3代目は3代藩主伊達綱宗の隠居後に、作刀の相手を努めるなど藩主の信頼も厚かったようです。
鹽竃神社博物館には、彼らお抱え刀工が手がけた藩主奉納太刀36振りが現存しており、いずれも県の有形文化財に指定されてすます。常設で展示されているのは、藩主奉納太刀の一部や重要文化財の国光などの十数点です。これらの奉納太刀を見ていると、日本刀が単なる武器であるだけでなく、その姿の美しさをたたえていることがよく解ります。だからこそ神秘性を感じさせる存在であり、領国の安寧や家の安泰などの願いを込めて神にささげたのでしょう。「武士が自分の真心を神様に奉納するために太刀を収めたのです」と茂木さん。
展示品の中に、伊達家一門の重臣たちが明治元年(1868年)に奉納した3振りの刀があります。戊辰戦争に敗れ、藩の命運が危機に直面している時です。奉納の際の祝詞の写しは、戊辰戦争での降伏恭順を神前に報告し、仙台藩領の安寧を願う文言が記されています。翌年には奉納刀を作った刀工も職を解かれており、お抱え刀工として最後の仕事となったと思われます。そんな奉納刀には、彼らの切実な願いと悲しみが込められているようです。