日本刀の源流(その2)
小じんまりとした館内には、奥州鍛冶の手がけた作品など40振りの刀剣が所蔵されています。中鉢美術館の魅力は、古代の東北地方で作られた刀剣が、日本刀の源流であったことを教えてくれることです。展示によって、私たちが一般的に想像している日本刀の形になるまでの変遷を見せてくれます。日本刀の源流は、古代東北地方に住んでいた蝦夷の「蕨手刀」です。シベリアや樺太を経て伝わったとされ、刀の柄の部分が蕨のようにくるりと円を描いているのが特徴です。
それが、時代が下るにつれて、長く反りのある太刀へと変化していった。古代東北では、平泉を拠点とした奥州藤原氏の刀剣を作った舞草鍛冶(もうくさかじ)や、出羽三山信仰を広める役目を兼ねた月山鍛冶、宮城県北部で律令政権の武備を担った玉造鍛冶が活躍していた。しかし、律令政権や源頼朝に征服されていく中で、高度な技術をもつ奥州鍛冶たちは、征服者の支配地に「戦利品」として連れて行かれ、各地の鍛冶集団と交流する中から日本刀が生み出されていった。
中鉢美術館には、平安時代末期ごろ作られ、奥州鍛冶の銘が確認できる、現存する最古の舞草刀「閉寂(ふさちか)」があります。凛々しさをたたえた姿は、武器としての機能だけでなく、高い精神性も感じさせる。古の人々は、どんな思いで刀剣を扱ってきたのでしょうか。中鉢館長は、刀剣は単なる武器ではないという。「災いを振り払ってくれる『伝家の宝刀』は絶体絶命の時に使われるもの。逆に言えば、いかに争わないかが大事だったわけです。名刀はそれを持った人が作り上げ、名刀がまた人をつくるのです」。