日本刀の源流(その3)
奥州鍛冶たちが源流の日本刀は、宮城ではどのように受け継がれてきたのか。その歴史を知ることができるのが、歴代の仙台藩主がお抱えの刀工に作らせて奉納した刀剣が所蔵されている鹽竈神社博物館です。奥州一宮として、仙台藩主はもとより古くから人々の信仰を集めてきた鹽竈神社の一角にある博物館は、100振りを超える刀剣が所蔵されています。近世大名のお抱え刀工の作品がまとまった形で保存されているのは全国でも珍しい。
学術員の茂木裕樹さんが「地元刀工の作品にこだわって収集や調査・研究をしています。奉納刀剣は制作された時期や奉納された年も明らかになっていて、お抱え刀工の歴史を知ることができます」と教えてくれました。刀工が丹精込めて作った刀剣は、その技術だけでなく、職人たちの個性も雄弁に物語ってくれる、第一級の資料です。伊達家62万石の大藩にふさわしい武備が必要とされた仙台藩は家臣の数も多く、その需要を満たせるほど多くの刀剣が求められた。
仙台藩に召し抱えられ、代々仕えた刀工は8系統で、藩内の刀工の総数は不明ですが、江戸時代を通じて200人を超えるのではないかと考えられています。その中でも名工の呼び声が高く、名実ともにお抱え工の代表格とされるのが山城大掾国包(やましろだいじょうくにかね)の系統です。初代国包は伊達政宗に召し抱えられ、後に京都で朝廷の御用を努める名工に入門して技術を磨いたとされる。山城大掾という官位を賜っているところからも、技術を高く評価されていたことが窺えます。