阿部勘酒造店(その2)
昔の酒蔵は、蒸米などの工程で薪を使っていたため、常に火災のリスクがありました。阿部勘も昭和に入ってからだけで二度も火災にみまわれ、古文書なども焼失してしまったということです。しかし、酒造りの歴史と伝統は絶えることはありませんでした。「手間ひま惜しまず正直に、と教えられてきて、とにかく真面目な商売ということが代々伝わっています。昔は、七回り勘九郎と呼ばれていたらしく、酒を売るために町中を何回も回っていたのだそうです」。
阿部勘の店主は、代々阿部勘九郎の名を継ぎ、戸籍まで変えるため、「以前、祖先の墓を一つにまとめたのですが、名前がほぼ勘九郎だった」という。平成6年、鹽竃神社前の道路の拡幅工事が行われた際に、現在の新蔵を建てました。時代に合わせて変化していくことが伝統であるという思いから、可能な部分は思い切って機械化しましたが、やはり、一番重要なのは、人の感覚だと阿部さんは言っています。
「機械化によって酒造りのベースが安定することで、その先のより繊細な部分に、人の感覚で深く分け入っていける。そうすることで造りにも味にも挑戦していける、そう考えたのです」。態勢も変わりました。冬の出稼ぎだった南部杜氏から、後継者不足で人の紹介が難しいと言われたことをきっかけに、若い人を積極的に登用し、少ない人数で酒造りができる蔵へと作り替えました。