牡鹿法印神楽
牡鹿法印神楽は、宮城県指定無形文化財、国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民族文化財に指定されています。牡鹿法印神楽がいつ始まったのかは定かではありませんが、600年前の室町時代であると言い伝えられています。法印神楽の法印とは、山伏・修験者のことで、かつて、陸前牡鹿郡には、明治維新を迎えるまで法印の道場が十个院(じゅっかいいん)ありました。
この地方の神社の祭礼の際には、法印が集まり、祭儀をとりおこない、神楽を奉納しました。しかし、明治維新の神仏分離令や修験禁止令によって十个院は廃止されたため、修験者たちは、法印という職を失いました。そのため、牡鹿郡の神楽も、しばらくは、ほぼ途絶えてしまいました。神仏分離令が出るまでは、長禅寺というお寺であった、現在の零洋崎神社(ひつじざきじんじゃ)では、明治13年(1880年)になると、7世紀に長禅寺を再興させた片桐栄存の二百年遠忌(おんき)が行われました。
その時に、当時の零洋崎神社の神職であった櫻谷可守(牧山長禅寺の最後の法印)の願いにより、かつての法印が集められ、神楽が復興されました。それ以後、奉納は毎年とりおこなわれ、現在にいたるまで、引き継がれてきました。神楽の番組、舞子の台詩、太鼓(胴とり)の神歌(かみうた)が記録されているものを神談記(かんなぎ)といいます。牡鹿法印神楽は、太鼓(胴とり)1名と笛2名、舞子で構成されています。番組は、24番伝えられています。