まぼろしのバナナ
あの東日本大震災のとき、十分に情報取集ができなかったため、食べ物がみんなにいきわたらないという声が方々で聞かれました。そんなおり、ある避難場所には、どこからか差し入れされたバナナの箱がうずたかく積まれ、傍にはバナナの皮も山のようにあったという。そのことを偶然知った人は、近いうちに自分もそのバナナにありつけると期待していましたが、いつまでたっても一向に配給される気配がなく、とうとうまぼろしのバナナに終わってしまったという。
しかし、「その時バナナを独り占めした人たちも、どのようにして皆さんに分配したらいいのか迷ったはずです。第一、みんなとはいったい誰と誰のことを云うのでしょう。考えてみれば解るように、あの雰囲気の中で平等に分配しようとすれば、かえって不公平感が募るばかりです。だからといって、せっかくの好意を無駄にして腐らせてしまうのももったいない話です。そこでやむを得ず、その場に居合わせた人たちで消化することにしたのでは?」とわが家のムサシは言っています。
大震災から3年半もたった現在、そろそろ笑い話になってもよさそうにも思えますが、その時のことを思い出すと、あらためて怒りが込み上げてくるようですね。でも、そんな思いを乗り越えてきたからこそ、今日があるのだと考えれば、無理にでも笑い話にした方がよほど幸せを実感できるのではないでしょうか。実は、そんなことはとっくに解っていますよね。ただ、あの時のバナナは、特別美味しそうに見えたことだけは決して忘れられません。