永勘染工場
若林区南染師町は、藩政時代から染物職人が暮らす街です。奥州街道沿いのこの街は、広瀬川から水を引く七郷堀と南材木町で交差し、ここから堀沿いに東に広がっています。寛永13年(1636年)に伊達正宗が亡くなっとき、経ケ峰に葬られることになり、以前から住んでいた染師たちはこの街に移住させられ、以来、一帯は染物職人の町となりました。
永勘染工場は、明治20年本荒町(青葉区一番町二丁目)での創業ですが、戦災に遭い昭和21年に南染師町にあった染物工場の一角を借りて仕事を再開しました。現在地に移ったのは35年のことです。その頃は、付近には10軒以上の染物屋が立ち並んでいました。「七郷堀の水で、余分な染料やのりを洗い流すため、堀の水が真っ青になることもあったという。
その後、染料の改良や染色技術の進化により、染物を堀に流すことはなくなりましたが、現在も染物をしているのは、3軒になってしまいました。デザインの部分はコンピューターを使うことが増えましたが、実際に染める工程は昔ながらの手仕事で、やはり、職人の技術が大切であることには変わりありません。ただし、注文はネットによるものが増えているそうです。