七ヶ浜国際村
1620年9月にイギリスを出帆した帆船メイフラワー号(乗室102名)がマサチューセッツ州プリマスの地にたどり着きました。この地がアメリカ建国の第一歩だったことは歴史的によく知られていることですが、この時の乗員であるピルグリム(清教徒)たちの生活ぶりを紹介している日本で唯一のアメリカ開拓史ミュージアムが七ヶ浜国際村にあります。
ユニークな建物の中には、入植時に先住民やフランス・スペインなどの襲撃から身を守るために築いた砦「フォートミーティングハウス」を再現し、メイフラワー号で持ち込まれた貴重な書物、銃や剣、衣服などが展示されています。七ヶ浜にこのような国際施設が建設されたのには、松島の風光明媚な景観と七ヶ浜の地形が大いに関係しているようです。
七ヶ浜は、7つの浜を持つ半島状の地形で、松島を南側から囲い込む町で、明治21年(1888年)当時第二高等学校の英語教師バーレル博士がこの地を発見し、東北学院長シュネーダ博士らの尽力により外人避暑地が開かれ、日本三大避暑地の一つ「海の高山」として定着し、地元では外国人浜の名で親しまれています。つまり、ピルグリムのアメリカ開拓と似ているというわけです。