おくのほそ道(その3)
天王寺一里塚を経て岩出山宿に入った芭蕉と曾良は、元禄2年5月14日ここに宿泊した。日記には「岩手山に宿ス」と記されているだけで詳しい場所は解っていませんが、「石田屋」と称される「はたごや」に泊まったのでないかといわれています。ここから出羽国を目指した一行は、歌枕で有名な小黒ヶ崎、美豆の小島の新緑を楽しみながら鳴子方面に向った。
山形に通じる出羽街道には、「蚤虱馬の尿する枕もと」で有名な芭蕉の句碑が建っている「尿前の関跡」があります。林の中をたどる山道が、わずかにその旧街道の面影をとどめていて、「おくのほそ道」の復元図と芭蕉の像があります。この関所跡を通り鳴子峡の中山平口を過ぎると出羽国はもうすぐですが、旧街道の山道は一段と深まっていったことでしょう。
芭蕉たちが「尿前の関」を超え、出羽国へと急ぐ途中、思わぬ嵐に見舞われ、2泊逗留したのが、重要文化財旧有路家住宅「邦人の家」です。「蚤虱馬の尿する枕もと」の句を詠んだのはここです。芭蕉が道中で宿泊した施設として現存している唯一の建物です。ここから200mほど離れた堺田駅前に、日本海側と太平洋側とを分ける堺田大分水嶺があります。