おくのほそ道(その2)
芭蕉と曾良の2人は、平泉に入る前に一の関に2泊しましたが、正確な宿の場所は解っていません。たぶんその場所は地主町周辺と推定されており、そこには「二夜庵跡」顕彰碑が建てられています。また、一の関から少し下ったところに、「刈又一里塚」という全国的にも貴重な一里塚があって、ここには樹齢百年を思わせる古木の切り株が残されています。
一の関から岩出山に向かった芭蕉と曾良は、岩ヶ崎を経て真坂に向う途中、祠堂が森の頂上で松の枝に衣をかけ休憩したと伝えられています。その松は、残念ながら切り株だけが残され、石柱がその場所を示しています。芭蕉衣掛の松から道路を隔てて、祠堂が森の旧街道が今も残っており、ここは上街道の中でも、昔のままの姿がよく残っている場所です。
大崎市に入ると、1.5㎞の松並木がありますが、ここが千本松長根で、戦時中には松根油を採取するために掘り起こされましたが、再び植栽され古街道の面影を今に伝えています。国指定の史跡であり、また、文化庁選定「歴史の道百選」にも選ばれています。しばらくすると、磯良神社がありますが、この地の沼に住みついたとされる河童の伝説があります。