おくのほそ道(その1)
俳人の松尾芭蕉が弟子の河合曾良とともに、江戸深川の採茶庵から東北や北陸を巡り、岐阜県の大垣市まで全長2400㎞の行程を150日かけて旅をした際、つづった紀行文が「おくのほそ道」です。これによると、宮城県には白石から入り、その後岩沼、名取、仙台、多賀城、塩釜、松島、石巻、登米というルートを辿り、平泉の中尊寺まで足を伸ばしました。
そのご、大崎市の小黒崎や美豆の小島を通り、鳴子温泉から尿前の関を経て出羽の国へ向かいました。芭蕉が歩いたとされる旧街道は、いまも当時の雰囲気を残し遊歩道として整備されています。途中の岩沼市では、陸奥の代表的歌枕「武隈(二木)の松」を見られた感動を「桜より松は二木を三月越し」と詠んでいますし、名取市にも芭蕉の句があります。
その後仙台に入り、ここで三日間滞在して塩釜松島を堪能したことはあまりにも有名です。石巻を出ると登米方面に向かい、平泉町の高館を目指しました。高館は中尊寺の東方にある丘陵で、判官館とも呼ばれています。源義経公最期の地と言われるこの高館には、義経堂が建ち、弁慶が立ち往生した衣川が望まれ、眼下には北上川がゆったりと流れています。