内川と遊歩道「学問の道」
内川は伊達政宗公によって岩出山城の外堀として開削された川で、1級河川江合川に設けられた大堰頭首工(おおぜきとうしゅこう)から取水し、大崎市岩出山の中心街を貫流して、大崎耕土約3,300haに用水を供給する農業用の水路です。そして、この内川の水は、岩出山の学問所として知られている国指定の史跡「有備館の庭園」にも分水しています。
この歴史的にも重要な位置づけにある水路は、今から約400年前に岩出山城が築城されたと同時に掘られた人口の河川です。政宗は、城の麓に町を築く際、城の北と東側は高い崖で囲まれているので、南と西側には深い掘りと高い土手をつくり、外の攻撃から城を守っていました。つまり、この内川は用水と城を守る外堀を兼ねて造られたものでした。
更にその外側には「一ノ溝」という掘りを作り、城と町の守りを固めました。この流れが一ノ溝の内側を流れていることから「内川」呼ばれたわけです。現在の内川は、昭和62年からの農業農村整備事業により改修され、内川の自然的・歴史的価値を保存するため「天然石による石積み護岸」「川沿い樹木の保存」「水際線の保持」などに配慮して整備されました。また、川沿いには「学問の道」と呼ばれる遊歩道も設置されました。