八百屋お七地蔵菩薩像
八百屋お七は、江戸本郷の八百屋の養女で、1667年12月の大火の際、駒込吉祥寺に避難しました。そこで、寺小姓の生田吉三郎と恋仲になる。翌年再建した家に戻り、吉三郎とあえなくなったお七は、火事になればまた会えると思い、放火未遂事件を起こす。そして、その罪により市中引き回しの上、火あぶりの刑になり、遺体は実母が引き取り葬ったという。(井原西鶴の「好色五人女」)
そのお七にまつわるお寺が、東仙台にあります。そのお寺は利府街道沿いに建つ大連寺です。ここにお七地蔵菩薩像が安置されているというのです。その大連寺こそ、お七の死後、清蓮和尚となり諸国を行脚したお七の恋人・吉三郎が建てたお寺と伝えられています。この寺の文献は2度も山火事にあい消失していましましたが、平成に入ってお七座像修復の際、体内から木札が出てきた。
そこには、この座像は吉三郎とお七二人の菩薩のために建立された旨が書かれていた。江戸で起きた町娘の放火未遂事件が、どうして遠く離れたこの地で像まで建てられたのか。それは、火あぶりの刑という極刑を免れる方法があったにもかかわらず、敢えて裁きに従うことを選んだ潔さが人々の心を動かしたのでしょうか。修復された像は吉三郎像と向き合うように安置されています。