鯛と波頭 笹かまぼこ販売一筋五十年
株式会社 すゞき物産
トップページへ
商品案内
会社案内
リンク
 店長の blog
<   2012年10月   >
日 月 火 水 木 金 土
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

  • おかいもの
  • ちょっと一言
  • みやぎの見所
  • わが家のムサシ
  • イベント情報
  • オープンご挨拶
  • キャンペーンご案内
  • ホットな出会い
  • 一期一会
  • 大震災
  • 美味しいもの情報

招き猫
powered by Movable Type Movable Type 5.2.10

<<もうそろそろリンゴの季節 | ブログTOP | 伊達餃子楼 >>

真田幸村の墓

講談の真田十勇士で有名なあの真田幸村の墓が、白石市の愛宕山の麓にあります。大阪夏の陣で豊臣方についていたのが真田幸村軍であり、徳川方についたのが伊達軍でした。その伊達軍のエースであったのが他ならぬ片倉小十郎というわけです。それがどのような縁で懇意になったのかは定かではありませんが、とにかく幸村の三女・阿梅は白石城で養育されました。

そして、同じく幸村の六女・阿菖蒲は、伊達家の家臣・田村定廣に嫁ぎました。その縁もあってか、真田幸村の墓は田村家の墓所にあるという。森閑とした杉林の中にあり、幸村の遺髪を納めた墓には、徳川家への配慮から名前は刻まれていない。幸村と小十郎、敵味方に分かれて死闘を繰り広げた勇者たちは、共に信濃の国の出身であった。

小十郎は、真田幸村とその妻を弔うために月心院を建立しました。その後、月心院は廃寺となりましたが、そのご位牌は片倉家の菩提寺である傑山寺に安置されています。阿菖蒲と幸村の六男の大八を呼び寄せた阿梅の墓は、当信寺境内で大八と肩を並べるように立っています。なお、当信寺の門は、白石城の東口門を移築したものだということです。

投稿者: みやげもの店主 | 日時: 2012年10月10日 14:55 | カテゴリ: みやぎの見所