悠久の流れ「北上川」
北上川は、ふるくから人々の暮らしを支えてきた母なる川です。その昔には、中流域(岩手県の当たり)に存在したという「日高見国」が栄えていたと言われています。北上川という名前はこの「日高見」に由来するという説もあるくらいです。江戸時代には米を運ぶ舟が登米や米谷などの川辺の街をにぎわせていたということです。
北上川の改良工事では川村孫兵衛が有名ですが、明治時代になると下流域を洪水から守るための分流工事が行われ、石巻港に注ぐ旧北上川と、追波湾に流れる新北上川の二つに分かれるようになりました。川の流れは穏やかで、干満の影響を受けやすく、満潮時には、新北上川の河口から17?も上流にある飯野川可動堰の下まで海水が遡ります。
このため、川は淡水と海水が混じり合って「汽水」となり、ベッコウシジミの名で有名な大粒の「ヤマトシジミ」や山の栄養分をたっぷり含んだ「ホタテ」の生育にも好影響をもたらしています。その他にも、イヌワシなどの生息地であることやヨシ原の風景にも繋がっている汽水域の恵みを、地元の人々は日々の生活の中で存分に活用しています。