目覚まし時計の悲しい定め
オヤジは本来ベッドで寝るのは好きではなかったのですが、大きめのベッドなら何とか妥協できるということで、セミダブルにすることにしたそうです。ですから、ボクがこの家に来たときには今使っているベッドがあったことになります。そのお陰で、ボクが毎晩ふとんにもぐりこんでも、お互いに窮屈でなく快適に眠れました。しかし、中途半端に大きいベッドのために、目覚まし時計をベッドの外に置くと、朝に目覚まし時計が鳴りだした時、手が届かなくてベルをとめるのに一苦労します。目覚ましの効用としてはその方がいいのかもしれませんが、オヤジは極端にうるさがります。それなら、目覚まし時計などかけなければよいのにと思いますよね。ところが、オヤジはほとんど目覚まし時計より先に目が覚め、時計を早めに取り込んでベルが鳴るのをとめてしまいます。変な癖ですが、そうしないと安心できないのでしょうね。そこで、今度は目覚まし時計を枕元に置いてみることにしました。結果は五十歩百歩で、目覚まし時計がうるさい奴だという忌々しさは変わりなく、時計もあきれ果てて、ホットケイ! と嘆いているようでした。
毎日、オヤジの様子を見ていたお母ちゃんが、iPhoneの「シリちゃん」にたのんだら! と、アドバイスしてみました。オヤジもそのことは考えていたようで、他に名案があるわけでもなかったので、それを採用してみることにしました。iPhoneは元々枕元に置いておく習慣があったので、寝る前にシリちゃんにお願いすれば、いつでも快く引き受けてくれるので、その点は便利ですが、やはり、けたたましい目覚まし音をなる前に消す、煩わしさは変わらない気がするというのです。お母ちゃんに言わせれば、一言、「止めて」とお願いすればいいだけなのに? と、不思議がりますが、オヤジが言うには、「起こしてください」とお願いしておきながら、朝になったら「起こさないでくれ!」というのは、なんだか気が引けるというのです。目覚まし時計もiPhoneも同じ機械なのに、人の声で答えてくれるiPhoneは、声の向こうで誰かが作業しているような気がして馴染めないらしいのです。そこで最近は、仕方なくまだならないiPhoneを持ち歩き、鳴ったらすぐに止める構えで、歯磨きやら、髭剃りをしながら落ち着かない表情で目覚まし音が鳴りだすのを待ち、鳴り出したら3コール以内で止めるように心がけています。
いつものように、今日も無事その作業が終了すると、安心した顔で、その後の作業を機嫌よく続けます。はた目には何とも滑稽な風景に見えることでしょうが、そうしないと、自分のステータスに反するような気がするのでしょうか、それとも、自然と身に付いたルーティーンなのでしょうか、とにかくそうしないと気が済まないようです。でも、何十年も一緒に暮らしていると、なんとなくその気持ちがわかってきたような気がします。ボクが思うには、成り行きに任せるとどんどん計画が先遅れにされてしまう。その分言い訳が多くなるので、自分を戒めるための一種の儀式のようなものかもしれません。それにしては、ボク以上に長い付き合いのお母ちゃんがそのことに気がついていないのは何故なのでしょうか? 不思議ですね。もしかすると、ボクは、四六時中オヤジと一緒なので、ボクの方が実質的にオヤジを観察する時間が長いためか? イヤイヤそうではない。お母ちゃんはオヤジの性格は全て把握しているが、敢えて知らないふりをしているのかもしれません。その方がお互いにマイペースでいられると思っているのかもしれません。賢い!