思わずオヤジも苦笑い
いつものように今朝も、新聞を読んでいたオヤジが思わず苦笑いをしていた。日本も、先行する欧州に習い地域医療を担う「かかりつけ医」制度の導入に本腰を入れるらしいという記事(日本経済新聞:今日のことば)を読んでいた時です。それによれば、「かかりつけ医」とは、患者が継続的に診察してもらう医師で、日本医師会などは「 なんでも相談できる」「 最新の医療情報を熟知している」「必要な時に専門医を紹介できる」「身近で頼りになる」「地域医療、保健、福祉を担う総合的能力を有する医師」と定義しているという。「家庭医」として定着している欧州では、専門医への取次を選別するゲートキーパーとしての機能を持つ、とある。ここまでは何とも立派な話で、ケチのつけようがない。驚いたのは次の記述です。この構想は、なんと「旧厚生省が1980年代に家庭医の制度化に乗り出したものの、医師会の反対などで頓挫した経緯がある」というくだりです。反対した理由は、英国のようにゲートキーパー制度を設けようとしていると受けとめられ、医師会は「医療費抑制策」と反発した。
それが30年後の2013年になって、政府の社会保障制度改革国民会議は、「緩やかなゲートキーパー機能を備えた、かかりつけ医の普及は必須」とした。その理由は、近年は病院勤務医の過重労働も問題視されるようになり、かかりつけ医と専門医の役割を明確にする機運が高まっていることによる、と書いてある。この記事を読んだオヤジが言うには、何とも不思議な感じがするという印象がぬぐえないというのです。かかりつけ医の定義を定めた日本医師会が、「医療費抑制策」つながるとして、制度の導入に反対し、今度はそのせいで勤務医の過重労働が問題になってきた。だからこの制度を復活させようという論理は、一患者としてはガテンがいかないということらしい。平安の昔から医は仁術といわれ、かかりつけ医の定義もその思想がにじみ出ている。然るに、制度導入の可否の決め手は、「患者のケア」ではなく、「医師の都合」というおごりが見える。今や、あらゆる商品は、消費者の要求を満たすことが原点にあるという考え方が定着しており、志のある企業なら、この精神に基づいてしのぎを削っている。
それなのに、もっとも崇高なサービスを提供しているはずの医療機関が、内向きの「わが家の事情」を最優先しているようなら主客転倒という印象は否めない。私たちは、医者の都合に合わせて病気になったり怪我をする分けでないので、あらゆる事態を想定して、セフティネットを張り巡らせておくことが国や自治体、医師会に科せられた重大な責務ではないのでしょうか。だからといって、お医者さんや看護師さんが過重労働に晒されているのであれば、患者側としても、そうした状態を見て見ぬふりをするという分けにもいきません。何しろ、患者よりもお医者さんの方が重症であるなどという図はしゃれにもなりませんからね。しかし現時点で、われわれがお医者さんたちに協力できることといったら、医療費の個人負担を増やすか、あるいは、健康管理を自分で行い、医療機関になるべくかからないようにすることぐらいしかありませんが、どちらも難しいのが現実です。かかりつけ医の定義にある「なんでも相談できる」医師にどうしたらいいのか相談してみたいと思うのですが、誰かそういうお医者さんを紹介してくれませんか?